朝、告別式に向かう。
途中で礼服のズボンだけ購入。お腹がきつすぎます・・・(w
通夜と告別式で受付をお願いされたが、今日は助っ人が来たので、
告別式にはきちんと席に座っていられた。
通夜は忙しくて悲しんでいる時間があまり無いのが現実だったが、
こうやって席に座ると、いろいろな事を思い出しては涙がでる。
告別式は昼からだったが、朝から何も食べていなかったため、お腹が鳴る。
前の席に座っていたおくちゃんが、半べそで笑いながらこちらを見る。
悲しくても、お腹はすくのだよな。
祭壇に「超初心者jazz」と「アユバン」という花を出させていただいた。
快く飾っていただいた。
ありがたいことだ。
初七日の法要も済ませ、棺に花や折鶴を入れる。
棺に蓋を載せる、今は釘を打つことはしないようだ。
火葬場に移動し、すぐに火葬となる。
なんか、早いなぁ。
でも、それでいいのかもしれない。
悲しみにくれる時間は少ないほうがいいのかもしれない。
精進落しの後、骨上げをみんなで行い、告別式が終わった。
その後、超初心者セッション仲間でどこかに呑みに行こうという話になり、
やっぱりと言うことで、渋谷のテング酒場に行った。
彼女の遺影はこのテング酒場で撮影されたものなのである。
トリミングされているが、なんと横にいるのは私だったそうです(w
ここで2時間ほど呑んで、さらに一部の人で白木屋に移動。
白木屋で新たに何人か加わったが、そこに彼女のご主人が参加。
なんと二日続けて呑み会に参加。
いいのかいな。
さらに店を移動して、三軒茶屋のカムチゲに行く。
セッションのようなぐだぐだ状態になる(w
ここらで電池切れで先に帰宅。
家に帰りついて「終わったな」って口で言ってみたけど、
何も終わってないよって気持ちで涙が出る。
会葬御礼を読んでよくわかったのだが、ご主人は僕たちと呑む事で彼女に近づきたかったのだろうなって思う。
文章の中に「ジャズピアノ」「バンド」「セッション」等、通常ではまず使われないであろう単語が並ぶ。
彼女のライブを一回も見ることが無かったというが、それはお互いが変に干渉しないほうが良いだろうという判断だったのだろう。
何も知らないはずのご主人が「ジャズピアノ」「バンド」「セッション」という単語を会葬御礼に使うと言うことは、彼女の趣味を尊重していたというのを強く感じさせる。
「超初心者jazz」や「アユバン」という花を快く出させていただいたというのも今更ながら納得なのである。
話が変わるのだが、実はあゆちゃんが亡くった日。
友達から知り合いの訃報が入って来た。
知り合いと言うか、後輩の奥さんである。
奥さんが重い病気で入院している話を聞いていたが、ちょっと微妙な距離が出来てしまっていたというどうでもいい理由で見舞いにもいけずじまいだった。
その後、通夜と告別式がまったく同日になってしまった話を人伝に聞いた。
マジで身体が二つ欲しいと思ったよ。
本当に申し訳ないなって思う。
僕はこちらを優先してしまったよ。
どうにもならなかったよ。
すまない。
いや、正直な話、俺自身にも大切の度合いってあるわけだし、
これが答えなんだよな。
ちょっと究極の選択的な感じがした。
少しずれるけど、フェイスブックやmixiにこのことを書く気になれないのだ。
理由は温度差を感じるコメントをもらっても辛いだけだから。
いや、みんながどう感じるかなんて自由だと思う。
ここだって誰が読んでるのかすら把握していないから、どうなのよってもんだけどね。
誰が読んでいるかわからないほうが気が楽だよ。
コメントも少ないし(笑